“合 鍵”  『恋愛幸福論で10のお題』より
      〜アドニスたちの庭にて より
 

気がつけば八月もあと10日もなくて。
去年と同じくらいに、今年もまた とんでもなく暑い夏だったけど。
残暑も物凄いんじゃないかってうんざりしてたけど。
でもね? あのね?
立秋からって訳にはいかなかったけど、お盆を過ぎたあたりから、
陽が落ちると草むらから虫の声が聞こえてくるようになったし、
朝晩にちょっとだけ涼しい風も吹くようになった。

 …とは言っても、

 「…わ。」

冷房が効いてた電車から降りるとき。
形があるクッションみたいな 生ぬるい風に
むわって 抱きとめられたような気がして、
ついつい思わずの声が出る。
お昼間はまだまだ暑い そんな中、
でも、口許から洩れた溜息は、
そんなことが理由で出たものじゃあなくって。
暑いことなんて二の次になっちゃうくらいに、
今は一つことへの集中で頭がいっぱいな瀬那だったりし。

 「どしたよ。そんなバリバリに緊張しまくりやがって。」
 「…っ☆」

いきなり掛けられたお声と、ぺしっと後ろ頭を軽くはたかれたことへ。
ひょえぇっと跳ね上がった反応があまりに過激だったからだろう、

 「…そんな思いっきり はたいちゃねぇぞ。」
 「す、すみませんっ!」

叩かれたには違いないのに、何でまた叩かれた方が謝っているのやら。
まま、繁華街ほどじゃあないけれど、
そこそこ乗り降りの多い駅の改札前であり。
小柄で童顔で、相変わらずにどこかコケティッシュな雰囲気の強いセナが、
悲鳴のようなお声を上げたとあって。
通りすがりの方々から、
何だなんだ、不良が絡んででもいるのかというよな構図に見られたならば。
そこはやっぱり“何てことしてくれた”という気持ちにくらいは、
なったりもするのだろうけれど。

 「蛭魔さんじゃないですか。どうしてこんなところに?」

思いがけないお人に鉢合わせたことがセナには驚きだったけど、
「そりゃあこっちの台詞だ。」
思いがけないという点では、相手の方が上であったらしい。というのも、

 「俺はちょい先にあるジムに通ってんだがな。」
 「ジムって…アメフトのトレーニングですか? 凄いなぁ。」

金色に染めた髪をツンツンに立てた、
長身痩躯にして、鋭角な印象の強い顔容
(かんばせ)をした彼は、
一見、どこのビジュアル系バンドのボーカルですかと思われがちだが、
この細い身体で、アメリカン・フットボールなどという、
過激でクラッシャーなスポーツに夢中。
確か秋になったらリーグ戦が始まると、桜庭さんが言っていたから、
この暑さの中でも体力作りに余念がない彼なのだろうが、

 「誤魔化してんじゃねぇよ。お前の姿を見たのは今日が初めてだっつってんだ。」
 「にゃあ〜〜。」

人差し指の先でうりうりと額をつつかれて、
誤魔化してなんかいませんよぉと、かぶりを振ったセナだったけれど、
蛭魔が不審に思ったのもまた無理はない。
世間様から“お坊ちゃま学校”なんて呼ばれ方をしてもいる白騎士学園に、
幼稚舎からずっと通っているという、言わば“生え抜き”の白騎士生。
それだけでもどんな育ちのお子様かと思われるところの上をゆき、
生粋のお坊ちゃんである誰かさん以上に、無垢で天然で世間知らずと来て。
困ってる人は放っておけないわ、人への疑いを持たないわ、
そのせいで誘拐されての危険な目にも遭いかかるわ。
そんな極端な話じゃあなくたって、
アフガン犬みたいな帰国子女の後輩さんからさんざ懐かれてたのへ、
けじめなり一線なりを引かずに甘やかしていたもんだから。
別な誰かさんが…傍目には判りにくいながらも、
重力地場を作っちゃったほど機嫌を損ねてくれたわ…と。
高等部時代は蛭魔も、その…色んな意味からの危なっかしさへ、
随分とやきもきさせられたもんであり。

 「用もないのに、こんな行動範囲の圏外へなんて、
  ひょいひょい一人で来るような坊ちゃんじゃなかろうが。」
 「はやや…。////////」

目元を眇めて言いつのる蛭魔へ向けて、
いえもう、大学生なんですけれどと、どうやって反駁が出来たもんだろか。
だって…実をいや言われたその通りであり、
初めて行くところには、それがどこかの“駅前”なんていう判りやすいところであれ、
携帯のナビ機能やネット検索でルートや所要時間を調べの、
よく出向くよという人から話を聞きのした上で……。
そんな覚束ないことをしているもんだから、周囲が危ぶんでの気がつけば。
お友達や先輩さん、高等部時代だとお兄様が、
見かねての段取りをさっさかと組んで下さり、必ず同行してくれた箱入りっぷり。
しかも、

 「しかも、肩をがっちがちに強ばらせての、緊張ぶりと来た。
  まさかに銀行強盗でもやらかそうって訳じゃなかろうに、一体どうしたよ。」
 「強盗…って、人聞きが悪いですよう。」

言うに事欠いて何てことをと、憤慨した方向も順番も間違ってはいませんが。

 「だ・か・ら。違うってこたあ判ってんだ、こら。」
 「ふぁい…。」

ふわふかな頬っぺを、ちょいと引っ張られ、
気が短い先輩だったこと、やっとのことで思い出したか。
判りましたよぉと観念したセナくんが、
だってのに…ちょっぴりもじもじと、
足元に落ちてた自分の短い陰を見下ろしてしまったところから察するに。

 “はは〜ん、進の野郎がからんでやがんのか。”

頭の回転が彼ほど鋭くなくたって、そのくらいはこの態度から判って当然。
とはいえ、

 “だがなぁ。あいつにしたって、こっちにゃ家も道場もないだろに。”

この土地との関連がつながらず、
ひょこりと小首をかしげた悪魔様にも、
見えないものは ちと判らない。
セナくんの遠出とそれから、いかにもな緊張の原因が、
ポケットに入ってるお財布の中の、小さな銀の鍵のせいだなんてこと……。





  ◇  ◇  ◇



引っ越しと言っても、
置いてある家具や電化製品はそのまま使っていいとの話だったし、
さすがに布団は自分のを持って行けと、
周囲がうるさかったので、配送してもらったものの。
講義に要りような参考書や辞書の類いはクラブハウスのロッカーだし、
道着や何やもにたようなものだから移動の必要はない。
後は着替えと歯ブラシや日常で使う食器に、
洗剤やシャンプーなどという消耗品というところだろうか。
急な話だったので、周囲の方が混乱しているようであり、
当事者が一番落ち着いていて、

 『でも清ちゃん、一人暮らしって…ご飯の支度はどうするの?』
 『そうよ。あんたってば放って置いたら、
  サプリメントゼリーで3食済ますような子だってのに。』

そういう自分もカップめん以外をその手で作っているところを
ついぞ見たことのない姉上から言われ、

 『合宿。』
 『え?』
 『…あ、そうだったわね。秋に入っても合宿が続くんだったわね。』

大学ではここいらでは全国大会の常連という強豪クラスの剣道部に所属しており、
幼いころからのずっと通っている合気道の道場にては、
今や師範代としてのお仕事をこなしているので。
高校を出て以降は、実家へも盆暮れにちょこっと顔を出しに戻るくらいで、
ほとんどどちらかの関わりの合宿だの遠征だのでの外泊続きだった。
そんな身の彼へ、

 ―― よかったら、帰って来るまでの間、使ってくれんかな。

海外研修ということで、何年か現地道場で指導することを任された他道場の先輩から、
ただ空けとくのも物騒だし、何より勿体ないからと。
家賃と呼ぶのも大仰なほどにささやかな礼金のみにて、
結構なマンションを貸してもらえることとなった進清十郎さんだったのだが。

 「週に何日もいないんだろ?」
 「どっちかといや管理人みたいなもんだね、そりゃ。」

家族以上にその日常をよくよく把握している友人たちが、妥当な見解を授けて下さり、

 「家電を壊さないことを祈るよ。」
 「うむ。」

あちこちでさんざん言われたが、
その先輩というのもまた、
センサー式の何のかのというシステムは苦手なお人だったので、
IH何たらどころか、リモコンもあまり置かない、
テレビもエアコンも本体につながってるコードリモコンでの操作という、
レトロなものをばかり大事に使ってたそうなので、
理解不能からの無茶であたってみて壊すということは無さそうなのだとか。
それは助かりましたねと、高見さんが穏やかそうに笑う隣りで、

 “…自分で言うかい。”

ホンマやね、桜庭くん。
(苦笑)

 「で? いつ引っ越すの?」
 「今日だ。」
 「……おや。」

その割に、講義に使う筆記具や辞書などを入れた、
ショルダーバッグしか提げてないあたり、
着の身着のままでその新居へ向かう彼であるらしく。
らしいといや、らしいことだけれど、

 「そうそう。その話って、セナくんへはしてあるの?」

高等部時代から“誓約”を結んでた弟くん。
実はそれより前から見守り続けていた、彼にとっての大切な人であり、
「とんでもなくの遠くへ行く訳じゃないとはいえ、言っといてあげないと…。」
他の人は知ってるのに、自分だけ知らないことがあるなんて、
ちょっぴり堪えることだからねと。
色恋沙汰に関しちゃ先人とでも言いたげに、口にしかけた桜庭へ、

 「今日来ることになっている。」
 「……ふ〜ん、そうなんだ。」

おやおや、そこのところは抜かりがないみたいですねと。
特別講師の講義が開かれるのを受講するため、
この暑いのに登校していた学舎の一角、
中等部時代からの三巨頭が、各々それぞれ、
楽しげだったり平静だったり、ちょっぴり面白くなかったりしつつも、
視野の先にある、懐かしの高等部、懐かしの緑陰館を眺めやる。
振り返ればたったの3年だってのにね。
すぐお隣りの明日さえ随分と先だったような、
それは充実した毎日をドタバタと送ってた日々だったねと。
もうそろそろ“学生”では居られなくなる身が切ないか、
何とはなく感慨深げなお三方であったらしいです。


  秋ですねぇ、まだまだ暑いけど。




  ◇  ◇  ◇



考えてみたら、あの緑陰館の鍵を預かったとき以来だった。
住まいの鍵なんていう、とっても重いものをお預かりしたのなんて。
お母さんが専業主婦でいつだって家で待っててくれたから、
自宅の鍵だって持ってないくらいだってのに、

 『先に行って、窓を開けておいてはくれまいか。』

譲ってもらった先輩が研修先へと旅立ったのは、実は半月ほど前のこと。
それから以降の今日まで、まだ自分は部屋へ運んでいないものだから、
この猛暑では空気も籠もってエライことになっているに違いなく。
使うようで悪いがと恐縮されたのへ、

 『いえそんなっ、ボク、その日は何も予定がなくてっ。』

ぶんぶんとかぶりを振り過ぎて、目眩を起こしかかったほどの相変わらずなセナへと、
微笑ましげに苦笑した進さんは、

 『ならば、頼む。』

そうと言って…この鍵を預けて下さった。
先輩さんから預かった鍵。
2本あったうちの片方で、つまりは合鍵で。

 『あ、はいっ! お預かりしますっ!』

やややと緊張ぎみに押しいただいたセナへ、

 『それはもう、小早川のものだから。』
 『……あ。////////』

わ、判って言ってますか? 進さん。///////
? 借りた期間だけだということか?
じゃ、じゃあなくて、あの…っ。//////

 “〜〜〜。//////////”

もうもう進さんたら。////////
あんな気安く、これから寝起きするお家の鍵を、
人にあげちゃっちゃいけないっていう意味で言ったのに。

 “ボクの、か。////////”

それでも、あのあの。
鍵を、ってだけじゃあない、これから向かうお家も、
責任持って預けられたような気がしてならずで。
それでの緊張がつい、蛭魔さんを怪訝に思わせたほど、
肩や背中を強ばらせていたんだと思うの。
そんなに大層に構えなくたっていいことじゃねぇかなんて、
蛭魔さんからは呆れられたけど。
でもだって、やっぱり責任は重大だし、それに。

 “それに…。”

2種類の鍵は、まずはエントランスの自動ドアを開けるためのと、
それからもう1本がお部屋の鍵。
エレベーターで上へと上がり、部屋の番号を慎重に数えていって。

 「…と、此処だ。」

メモして来た住所の番号と5回も見比べて確かめて。

 「えと…。///////」

なんでだろ、だってまだ進さんも、住むためには来ちゃいないお部屋なのにね。
進さんにしか権限がないはずのお部屋。
それを開けちゃうことへと、妙に緊張しちゃってる。
銀色の小さな鍵。
まずはどっち向きかに手間取って、
それからノブを握って、差し入れた鍵だけを回せば……
がちゃりと手ごたえが返って来て。


  進さんの裡
(ウチ)へと入るみたいでドキドキしたなんて、
  やっぱりボクって変なんだろか。


アンダンテのケーキを買って帰ると、携帯へのメールがあったので。
待ってる間に窓開けて、お掃除もしておこうかな。
冷蔵庫は、空だけど電源は入っていたので、
駅前のコンビニで買って提げて来た、
ペットボトルのお茶とスポーツドリンクと、
それからミネラルウォーターという品揃えをほうり込む。
セナくん、気づいておりませぬが、
合鍵で入ったお部屋は、今日から、
進さんの身のうちってだけじゃあなく、
セナくんのテリトリにもなったんですのにねvv
それと気づくのは、果たしていつのことなやら。
この蒸し暑さが引くころに、
頭も冷えてももう一度、ぽうとのぼせることにならなきゃいいんですけれど……。


  「……あっ、えとっ、あのあのっ、お帰りなさい。/////////」





  〜Fine〜 08.08.21.


  *久し振りのアドニスですね。
   大学出たら独立すると言ってた進さんですが、
   その予行演習の場をもらってしまった訳でして。
   先々でご飯の支度をして上げなくちゃなんて、
   しっかり妄想(?)しちゃってたセナくんにとっても、
   格好の練習の場になる訳ですね。
   まずは、愛妻弁当なんぞから、頑張って欲しいもんです、はい。
(笑)


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